一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

フェルメールの「小路」 ……350年来の謎であった「小路」の場所が判明した……


週刊誌を買って読むことはあまりないのだが、
12月初旬に発表される【ミステリーベスト10】という記事を読むため、
毎年、この時期には、週刊文春を買う。
今年は、週刊文春(12月10日号)に掲載されていたので、
さっそく買って読んだのだが、
肝心の【ミステリーベスト10】より面白い記事を見つけた。
福岡伸一氏のコラム「福岡ハカセのパンタレイ パングロス」である。
連載370回目のタイトルが、

フェルメールの謎が解けた》

ね。
謎だらけのフェルメールなので、
〈何の謎?〉
と気になるでしょう。
福岡伸一氏は、自ら名乗るほどの“フェルメールおたく”。
フェルメール 光の王国』という著書もあり、
フェルメールに関しては造詣が深い。

私は、おたくではないけれど、
フェルメールは好きな画家の一人で、
ここ数年では、
2012年10月11日に、
ベルリン国立美術館展九州国立博物館)で、
真珠の首飾りの少女」を、


2012年11月06日に、
マウリッツハイス美術館展(神戸市立博物館)で、
真珠の耳飾りの少女」を鑑賞している。


真珠の首飾りの少女」鑑賞のために、九州国立博物館に行ったときに持参したのが、
福岡伸一著『フェルメール 光の王国』で、


その日のブログに、私は次のように記している。

福岡伸一著『フェルメール 光の王国』を持参。
フェルメールに関する本はたくさん読んだが、この本が特に面白い。
大好きな本で、もう何度も読んでいる。
ベストセラーになった『生物と無生物のあいだ』で有名な福岡伸一氏だが、
その他の本も面白く、彼の著作を愛読している。
フェルメール 光の王国』は、理系の著者らしい視点で、
フェルメールの絵を解き明かしていて、秀逸。
例えば、こんな文章。


微分》というものは、実は何も難しいものではありません。高校の教師はかつてそう私に語った。《微分》というのは、動いているもの、移ろいゆくものを、その一瞬だけ、とどめてみたいという願いなのです。カメラのシャッターが切り取る瞬間。絵筆のひと刷きが描く光沢。あなたのあのつややかな記憶。すべてが《微分》です。人間のはかない“祈り”のようなものですね。微分によって、そこにとどめられたものは、凍結された時間ではなく、それがふたたび動き出そうとする、その効果なのです。

フェルメールの絵こそ、まさにそれだと。

文系人間の私には絶対に書けない文章であり、
実に新鮮な読書体験であった。

で、先ほどの福岡伸一氏のコラムであるが、
フェルメールの謎が解けた》というタイトルの後、
次のような書き出しで始まる。

大発見のニュースが飛び込んできた。三百五十年来の謎がとうとう解けた。フェルメールの「小路」の場所が正確に特定されたのである!

のっけから福岡ハカセも興奮気味である。
フェルメールは43年ほどの短い人生において、
37枚の珠玉の作品を残している。
その中で、風景を描いたものは、たったの2点。
「デルフト眺望」と「小路」である。
「デルフト眺望」の方は、
どこから描かれたものか判明している。
(デルフト南端の船溜まりの対岸からの眺望)


「小路」の方は、
この場所がデルフトの街の一体どこなのか、
これまで“フェルメールおたく”たちがいろんな仮説を立てたが、
どれも決め手に欠き、
これが350年来の謎となっていたのだ。


謎を解いたのは、アムステルダム在住のグリゼンハウトという美術史学者。
古い納税資料を調べていて、
〈これが「小路」を解く鍵になるかもしれない……〉
と思いついたのだ。
なぜなら、
当時、デルフト市の税金は、家の間口の広さに基づいて算定されていたからだ。
「それが、なぜ絵の場所を特定する鍵になるのか?」
と、普通の人は考える。
ここからは、ミステリーの謎解きのような展開となるのだが、
その前に、フェルメールの絵の特徴について、少し述べておく必要がある。
フェルメールは、実は、科学者的なマインドを持った画家で、
すべての絵のあらゆる細部は、正確に、公平に、ありのままに描かれている。
絵に登場する地球儀や、天球儀、机の上の書物、壁の地図などは、
すべて実在するものであり、
その寸法も形状も実物とほぼ同じに描写されていることがわかっている。


〈だから「小路」の風景も実在の場所をそのとおりに描いたに違いない……〉
とグリゼンハウトは考えたのだ。
先程、
「当時、デルフト市の税金は、家の間口の広さに基づいて算定されていた」
と書いたが、
史料には、その当時の数値と税額がすべて細かに記載されていたのだ。
グリゼンハウトは、
フェルメールの「小路」の絵の中の、
家の壁のレンガを測量し、
当時のレンガの寸法から、
「小路」に描かれた二軒の家の間口を計算したのだ。




その数値の寸法を持つ家が、二つの狭い路地を挟んで並んでいる場所は、
史料上、たったひとつしかなかったというのだ。
それが、ブラミン通り42番地。


グリゼンハウトが、古い地図と照合してみると、
そこはなんと、フェルメールのアトリエがあった場所の近くで、
しかも、そこは、フェルメールのおばさんの住まいだったのだ。


「小路」の中のおはじきに興じていた子供たちはフェルメールの親戚の子だったのだ。デルフトにまた新名所が出来た。もう行くしかない。

福岡伸一氏は述べている。

いつの日か、私も行ってみたいな~