一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

山本正嘉『登山と身体の科学 運動生理学から見た合理的な登山術』 ……70代で日本アルプスを単独縦走するには……

 

著者の山本正嘉氏を知ったのは、

2024年6月に開催された、

「第7回 夏山フェスタin福岡2024」というイベントだった。

 

【山本正嘉】

1957年横須賀市生まれ。東京大学大学院修了。博士(教育学)。鹿屋体育大学名教授、および同大学のスポーツトレーニング教育研究センター長を経て、現在名誉教授。専門は運動生理学とトレーニング学。2つの体育大学で30年以上にわたり、スポーツ選手の競技力の向上や一般人の健康増進をはかるための研究と教育を続けてきた。中学生の時に登山を始め、日高山脈の単独無補給全山縦走、シブリン北陵の初登攀、アコンカグア南壁のアルパインスタイル登攀、チョーオユーの無酸素登攀、ムスターグアタの低酸素トレーニングを活用した短期登攀などをおこなってきた。2001年に登山の運動生理学とトレーニング学に関する研究と啓発運動に対して秩父宮記念山岳賞を受賞。主著の『登山の運動生理学百科』(東京新聞出版局)は韓国、台湾で翻訳されている。

 

「山をより快適に歩くための3つのポイント」

というセミナーを聴講したのだが、

 

このときの講義内容がすこぶる良く、

山本正嘉氏の著書を読んでみたいと思い、購入したのが、

『登山と身体の科学 運動生理学から見た合理的な登山術』 (ブルーバックスB2260 講談社 2024年5月刊)だった。

 

登山人口は年々増加の一途をたどり、

いまや登山は老若男女を問わず楽しめる国民的スポーツになっている。

一方、登山人口の増加に比例して山岳事故も増えており、

GWや夏期のハイシーズンには、

事故のニュースを目にしない日は無いほどだし、

安全な登山技術の普及が喫緊の課題となっている。

本書は、安全に楽しく登山をするために、運動生理学の見地から、

疲れにくい歩き方、

栄養補給の方法、

日常でのトレーニング方法、

デジタル機器やIT機器の効果的な使い方などを、

わかりやすく解説し、

さらに、豊富なコラムで、

楽しみながら知識が身につけられるようになっている。

 

目次には、

 

第1章 登山とはどのような運動か

第2章 山での疲れにくい歩き方

第3章 山での栄養補給の方法

第4章 環境の影響から身体を守る

第5章 山で起こる身体のトラブルを防ぐ

第6章 体力トレーニングの考え方と方法

第7章 登山計画の立案と身体面の準備

第8章 安全登山の仕組みづくりとセルフチェック

 

という項目が並ぶが、

このレビューでは、極私的に興味のある、

「70代で日本アルプスを単独縦走するには?」

ということに絞って、論じてみたい。

 

佐賀県に金立山(502m)という旧い由緒を持った低山があります。ここに金立水曜登山会という市民団体があり、毎週水曜日に100名以上の会員が集まり、真夏でも雨の日でも、半日程度の「軽登山」を欠かさず続けています。たくさんの人が一緒に登るので、歩く速さもゆっくりとなります。彼らはこれをスロー登山とも呼んでいます。

軽登山という用語はこれ以後もときどき使うので、ここで説明しておきます。これは、ハイキングコースと呼ばれるような歩きやすい低山で行う、3~4時間程度の山歩きだと考えてください。累計の標高差で表すと、上り・下りともそれぞれ500mくらいの運動量になります。(23~24頁)

 

私も金立山に登ったときに、時々、水曜登山会の皆さんに会うことがあり、

その登山会の存在は知っていたが、

団体行動が苦手な私は、一度も参加したことはなかった。

著者は、この会の皆さんにお願いして、健康や体力などの状況を調査してきたという。

 

生活習慣病は、

代謝系の障害であるメタボリックシンドローム(高血圧、糖尿病など)と、

運動器系の障害であるロコモティブシンドローム(腰痛、骨粗しょう症など)との2種類があるのだが、毎週登山を励行している人たちは、どの疾患をとってみても、同年代の日本人の標準値と比べて著しく有病率が小さいことがわかった。

登山は典型的な有酸素性運動(エアロビクス)で、運動時間が長いことが特徴。

このため、心臓や肺にほどよい負荷をかけ続けながら、体脂肪をたくさん燃やすことができ、

また、荷物を背負って坂道を上り下りするので、全身の筋力が強化され、骨にも刺激が加わる。

これらのことが図1のような効果をもたらしているという。

 

図1

■は金立水曜登山会(平均69歳、126名) 

□は同年代の日本人平均有病率

 

図2は、水曜登山会の皆さん(平均69歳)に、日本アルプスのような大きな山や、中級山岳でも健脚コースと呼ばれる長いコースを歩いたときに起こる、身体のトラブル状況を訊ねた結果です。比較したグループは、月に約1回の登山をする、ごくふつうの登山者(平均56歳)です。水曜登山会の皆さんは平均年齢が13歳も高いのに、大きな山でのトラブル発生率は目立って低いことがわかります。特に、ふつうの登山者には多発している「膝の痛み」「下りで脚がガクガクになる」「筋肉痛」「上りで心臓や肺が苦しい」で、大きな差が見られるのが特徴です。

これら4つのトラブルは、転ぶ事故や心臓疾患など、重大な事故の引き金にもなります。それが顕著に少ないということは、より快適な登山ができているだけでなく、事故防止という面から見ても大きな意味があることになります。(25~27頁)

 

図2

 

水曜登山会の皆さんに訊ねてみると、軽登山を励行するうちに膝や腰がよくなった、という人もいました。この理由は次のように考えられます。

膝や腰の痛みは、その周囲の筋力が低下すると起こりやすいので、予防や改善のために筋力トレーニング(筋トレ)が推奨されています。この点で軽登山の励行は、膝や腰の痛みを改善するような、適度な筋トレ効果があるのです。

反対に、登山によって膝や腰が痛くなる人というのは、1ヵ月に1回程度、あるいはそれ以下の低頻度で大きな山に出かけ、思い出したようにハードな登山をするために、膝や腰を痛めつけるような刺激になっている場合が多いのです。

水曜登山会での調査を含めて、これまでの筆者たちの研究をまとめると、大きな山での登山能力は、70代の前半までは年齢や性別、また過去の登山歴にも関係なく、現時点でどれだけの登山ができているかで決まる、という結果でした。つまり、軽登山の根気よい積み上げが、大きな山への道を開いているのです。「トレーニングに王道なし」といえると同時に、「ちりも積もれば山となる」ともいえるのです。(27~28頁)

 

では、具体的にはどれくらいの量を、どのように行えばよいのか?

 

実行できるかできないかは別問題として、理想的なやり方を示すとすれば、週1回、半日程度(3~4時間)で、上り下りともそれぞれ累積で約500mずつとなるような、軽登山を励行することだと考えてください。

1回あたりの上り下りの量がどちらも約500mとなるので、以下、±500m登山と表現します。1ヵ月ではそれを4回、つまり上り下りとも約2000mずつこなすことになります。そこでこれを「月間±2000m登山」と呼ぶことにします。

このような軽登山の励行を勧める根拠はいくつかありますが、図2がその一つです。平均年齢でほぼ70歳の人たちでも、日本アルプス級の大きな山でのトラブル発生をかなり抑制することができます。また機会あるごとに、このような軽登山をほかの人にも試してもらったのですが、例外なくよい結果が得られています。

半日程度の軽登山とはいえ、毎週行うことで体力もつき、山道を歩く技術も上達します。また暑い日、寒い日、雨の日など多様な状況を体験することができ、悪条件下での登山にも強くなります。先に、山でのトラブルを解決する特効薬のようなトレーニングはないと言いましたが、それに近いものがあるとすれば、この月間±2000m登山だといってもよいでしょう。(173~174頁)

 

1週間で±500m、1ヵ月で±2000mの登山をすると聞いて、

大変な運動量だと思う人もいるかもしれないが、

この量は決して多すぎるわけではなく、

厚生労働省が一般人に対して推奨している健康づくりの運動指針から見ると、

この量でもまだ少し足りないという計算結果になる。

 

水曜登山会では、月に1回は長めのコースを歩いています。加えて週末には、各自の好みの山に出かける人も多くいます。そして夏になると、本州中部、東北、北海道といった遠方の大きな山の縦走に出かけたりもします。これらの運動量を加算すれば、厚生労働省の基準は十分に満たしているのです。(30頁)

 

これらの文章を読んで、私は週1~2回、

3~5時間ほどの±500m(プチボッカ)登山を続け、

今夏の5日間の北アルプス単独縦走に挑んだ。

そして、無事、歩き通すことができた。

人によって違うだろうが、少なくとも私にとっては、

この「月間±2000m登山」は効果があったと言える。

 

「月間±2000m登山」といっても、

月に1回、±2000m登山したらいいのでは……と考える人もいるかもしれないが、

それではダメで、(高齢者は特に)身体を壊してしまう。

そして、毎週1回の軽登山は、励行すれば大きな効果がある反面、

やめればまた元に戻ってしまう。

何事も継続が大事なのだ。

 

今回のレビューでは、

「70代で日本アルプスを単独縦走するには?」ということについて、

私が参考になった部分を中心に論じたが、

本書には他にも為になる登山術が多く紹介されている。

高齢者になっても登山を続けたいという人には必読の書といえるだろう。

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天山の山歩道 ……ナガバノコウヤボウキが開花……

 

8月15日(金)

 

今日は天山へ行こうと思ったのだが、

現在稜線に咲いている花はもうすでに観賞済みなので、

本日は山頂は目指さず、

“私の山歩道”で花散策したいと思う。

 

数日続いた豪雨の後なので、

土砂崩れ等で「通行止」になっている箇所が多かった。

 

タマアジサイは、

 

玉が割れて、

 

開花し始めていた。

 

美しい。

 

私の好きなクサアジサイも開花していた。

 

嬉しい。

 

ミソハギはちょうど見頃だった。

 

いいね~

 

こちらはカワミドリ。

 

逢えそうで逢えない花。

 

ラッキー。

 

キガンピ、

 

ハグロソウ、

 

ヒメキンミズヒキ

 

ユウスゲも咲いていた。

 

スズコウジュはまだ咲いていなかった。

2週間後には咲くだろう。

 

ツルニンジンは開花間近。

「早く、早く!」

 

ナガバノコウヤボウキの群生地へ。

 

「おっ、咲いてる~」

 

嬉しくて、何枚も写真を撮る。

 

見れば見るほど不思議な形をした花だ。

 

大好きだ。

 

今日は「ノ○メユリ」にも逢うことができた。

 

楽しくて仕方がない。

 

今日も「一日の王」になれました~

 

一人読書会『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)⑩ ……第4部、1章~8章……

 

一人読書会『アンナ・カレーニナ』の10回目は、

第2巻の、

第4部の1章~8章を読んでみたいと思う。

 

1章

 

レーニン夫妻は相変わらず一つ屋根の下に暮らし、毎日顔を合わせながら、まったくよそよそしくしていた。ヴロンスキーがこの家に出入りすることはなかったが、アンナは家の外で彼と会っており、夫もそれに気づいていた。カレーニンは何事にも終わりがあるように妻の浮気もやがて終わり、みんながこのことを忘れて、自分の名も辱められずにすむと期待していた。アンナはじきにすべてが決着がついてすっきりするはずだと固く信じていた。しぶしぶアンナに従ってしたヴロンスキーもまた、この厄介な問題にきっぱりとけりをつけてくれるべき、何かしら自分の力を超えたものを待ち望んでいた。ヴロンスキーはペテルブルグを訪れたある外国の皇太子の世話係を命じられ、ペテルブルグの名所を案内するはめになり、きわめて退屈な一週間を過ごした。昼の間は二人して名所旧跡のたぐいを回り、晩にはロシア風の歓楽の席に連なった。この客がとりわけヴロンスキーにとってつらい相手だった一番の原因は、彼が否応なく相手のうちに自分自身の姿を見てしまうからであった。目上の者に対しては対等に付き合ってへつらわず、同等の相手には自由で気さくに振舞い、目下にはいかにも見下したような情けをかけた。これはまさにヴロンスキー自身と同じであり、かれはそれをたいそう立派な態度だと思ってきた。しかし皇太子に対して目下に当たる彼は、この見下したような情けをかけられたとき、怒り心頭に発したのだった。

 

2章

 

ヴロンスキーが家に戻ってみると、アンナの手紙が着いていた。「晩においでください。7時には夫が委員会に出かけ、10時まで帰りません」そうアンナは書いていた。朝食をすますと、ヴロンスキーはソファに横になり、眠りに落ちた。恐ろしい夢をみて、身を震わせながら目を覚ました彼は、時計を見た。8時半だった。大急ぎで服を着て、カレーニン家の玄関に乗り付けた時、9時10分前であった。橇を降り、玄関に向かった。するとちょうど玄関のドアが開き、カレーニンが出てきた。じっと動かぬカレーニンの目は、ヴロンスキーの顔にひたとすえられていた。ヴロンスキーが一礼すると、カレーニンはちょっと口をもぐもぐさせながら片手を帽子にかけ、脇を通り抜けていった。「もういや!」彼を見るとアンナはそう叫んだが、最初のひとことでその目に涙があふれ出た。「いやよ、もしこんなことが続けば、ずっと、ずっと早くあのことが起こってしまうわ」「いったいどうしたの?」「どうしたかですって? わたしは待っていたのよ。つらい思いをしながら、1時間も2時間も……いいえ、よしましょう!……あなたと言い争うわけにはいかないわ。きっと来れない理由があったのでしょうから」両手を彼の肩に置くと、彼女はいかにも嬉しそうな、しかも同時に試すような深いまなざしで、じっと彼を見つめた。

 

3章

 

ヴロンスキーは、アンナの嫉妬の発作にひどく怯えていて、嫉妬の原因が自分への愛情であるということを理解してはいても、そのせいで彼女への愛がさめていくのを隠そうとしても隠しきれないのだった。今の彼は、すでにいちばんの幸せは過ぎ去ったと感じているのだった。自分が彼女に愛を感じていないと思えるようになったいま、かえって彼女との関係はとても断ち切れないと自覚するのだった。ヴロンスキーが、「お腹の赤ちゃんの予定日はいつ?」と聞くと、「じきよ、もうじき。じきに何もかも決着がつくわ。そうしたらわたしたちはみんな、みんなほっとして、これ以上苦しむこともなくなるの」「ぼくにはわからないな」「あなたはいつって聞いたでしょう? じきよ。そしてわたしはそのことに耐えられない。いいえ、口を挟まないで。わたしにはわかっている、確実にわかっているわ。わたしは死ぬ、そして死ぬことで自分もあなたも解放してあげられるのがとても嬉しいの」涙が彼女の目から流れ出た。「なんてばかげたことを! なんて無意味なたわごとを言うんだ!」「いいえ、これは本当のことよ」「何が、何が本当だって?」「わたしが死ぬということよ」不意に彼女は動きを止めた。その表情はたちまちにして一変した。恐怖と動揺の表情が消え、幸せそうな表情が浮かんだのだった。彼にはその変化の意味がわからなかった。彼女の体の中の小さな生命の動きに注意を傾けていたのだ。

 

4章

 

オペラを見に出かけ、帰宅したカレーニンは、すぐに横になることはせず、夜中の3時まで部屋の中を行きつ戻りつしていた。どうしても体面を守ろうとせず、家に愛人を連れ込むなというたった一つの言いつけも守れない妻に対する怒りで、どうにも胸のうちがおさまらなかったのである。一晩中一睡もしなかった結果、膨らみに膨らんだ彼の怒りは、翌朝にはもはや最後の限界にまで達していた。妻の起床を知ると同時に彼女の部屋に入って行った。「わたしは何ひとつ変えることはできません」アンナはつぶやいた。「わたしがきみに言いに来たのはこういうことだ。わたしは明日モスクワへ発って、その後はもうこの家には戻らない。きみはわたしの決定についての通知を、弁護士から受け取ることになる。わたしが離婚訴訟を託す弁護士だ。わたしの息子は、妹の家に引き取られる」「あなたがセリョージャをほしがるのは、わたしを苦しめるためね」「そうだ、わたしは息子への愛情さへ失ってしまったが、それというのもきみに対する嫌悪が息子にまで染み付いてしまったからだ。しかしやはり息子はこちらで引き取る。ではこれで!」そう言って彼は出て行こうとしたが、アンナが引きとめた。「あなた、セリョージャは置いていって! 他に何もお願いはありません。セリョージャを置いていって、せめてわたしの……わたしじきに子供を産みます。あの子を置いていって!」カレーニンはカッとなって、妻のつかんでいた腕をもぎ離すと、黙って部屋を出ていった。

 

5章

 

レーニンがある有名なペテルブルグの弁護士の事務所を訪れると、その応接室は客で一杯だった。この際身分を明かすのもやむをえないと悟り、名刺を助手に差し出し、取次ぎを頼んだ。2分もすると弁護士が現れ、部屋に通された。「これからご相談する事柄は他聞をはばかる」ということをことわった上で、「不幸にもわたしは妻に裏切られました。それで、法にのっとって妻との縁を切ることを、つまり離婚を望んでおります。ただしその際、息子を母親のもとに残したくはないのです」と言った。そして、この種の問題が実際にどのようなかたちで処理されるのかという点について問うと、弁護士は、「わが国の法律によると、離婚が可能なのは、夫婦いずれかに身体的な欠陥がある場合、疾走して5年たった場合、それから不貞の場合です」と言い、「不貞の場合は、その不貞の罪が夫婦双方の合意の上で立証された場合、および双方の合意が得られぬまま、強制的に立証された場合です」と付け加えた。カレーニンは、「わたしの場合、可能な手段はただ一つ、強制的に立証する方法ですな。証拠となる手紙はわたしの手元にありますから」。弁護士は唇をすぼめて、同情と軽蔑の相半ばしたような声で言った。「手紙はもちろん立証の一助になるでしょう。しかし証拠というものは本来直接的な手段で、つまり証人から集めるべきものです。もしもこのわたしをご信頼くださるならば、どんな方法を用いるべきかという選択も、お任せいただきたいと思います。虎穴に入らずんば虎児を得ずといいますからな」「つまり離婚は可能であると、こう結論してよいのですね」「わたしに完全なフリーハンドをいただけるなら、何事も可能ですよ」。

 

6章

 

8月17日委員会においてカレーニンは輝かしい勝利を収めたのだったが、その勝利の結果に、かえって足元を掬われることになった。論敵のストレーモフが予想もしなかった作戦に出たのだ。突然カレーニンの陣営に鞍替えし、カレーニンの提案による施策の実行を熱烈に支持したばかりか、同様な趣旨の別の極端な施策群まで提案し、この過激な施策が採択されたのだ。あまりにも極端に走った一連の施策がにわかに愚劣なものと判明し、政治家も世論も皆がいっせいにこの施策を攻撃し、施策そのものとその生みの親であるカレーニンに向かって、憤りを表明したのであった。ストレーモフはさっと身を引き、それでカレーニンはひどい痛手をこうむったのである。そんな状況下、カレーニンは一つの重要な決断を行った。すなわち委員会の驚きをよそに、自ら事情調査のために現地へ赴く許可を願い出ると宣言したのだ。そうして許可をもぎ取ると、カレーニンは遠くの諸県へと出立したのである。諸県への旅の途中、カレーニンは3日間モスクワに滞在した。着いた翌日、彼は新聞横丁の四つ角でオブロンスキーから声を掛けられる。近くの馬車には妻のドリーと二人の子供が乗っていた。カレーニンはモスクワでは誰にも会いたくないと思っていたが、とりわけ妻の兄はいちばん避けたい相手だった。「わたしの好きなアンナさんはお元気にしていらして?」ドリーが言うと、カレーニンはムニャムニャ言って、そのまま立ち去ろうとした。だがオブロンスキーが彼を引き止め、「ドリー、食事に来ていただこうよ!」と言うと、ドリーも「それはぜひ、お越しください。5時にお待ちしますわ、なんなら6時でも」と言った。カレーニンは何やら答えたが、行きかう馬車の騒音にまぎれてドリーには聞き取れなかった。

 

7章

 

翌日は日曜日だった。オブロンスキーはボリショイ劇場のバレエのリハーサルに立ち寄って、自分の口利きで入団したかわいいダンサーのマーシャ・チービソワに、前日約束した珊瑚のネックレスをプレゼントした。そして舞台裏の真昼の暗がりで、プレゼントを喜ぶ相手のきれいな顔に、首尾よくキスすることができたのである。そして一緒に食事に行こうと約束した。劇場を出たオブロンスキーは、12時にはもうホテル・デュッソーに着いていた。彼には会わなければならない相手が3人いたが、幸いにも全員がこの同じホテルに宿泊していた。まずリョーヴィンを訪ねた。「外国できみは何をしていたんだい? どこへ行ったのさ?」「行ったのはドイツ、プロイセン、フランス、イギリスだが、首都じゃなくて工場のある町を訪ねたんだ」「シチェルバツキー青年から聞いたところでは、きみは死ぬ話ばかりしていたそうじゃないか」「ぼくは今だって死のことを考えているよ。そろそろ死んでもいい時期だというのは、本音のところだ。死を考えていると人生の喜びは減るが、そのかわり心は落ち着くんだよ」とリョーヴィンが答えた。オブロンスキーは、「今日の晩、必ずうちに食事に来たまえ。きみの兄さんも来るし、妹の夫のカレーニンも来る」と言い、リョーヴィンは「ああ、もちろん」と答えた。

 

8章

 

レーニンは日曜日の祈禱式から戻って以来、午前中ずっと部屋で過ごした。この朝彼には二つの仕事が予定されていた。ひとつは、ペテルブルグへ向かう途中でモスクワに立ち寄った異族人たちの代表団を、迎えて送り出す仕事であり、もう一つは弁護士に約束の手紙を書いてやることだった。彼が手紙に封をしていると、オブロンスキーがやってきた。「わたしはうかがえません」立ったまま、客に椅子をすすめもせずに、カレーニンは冷たく言い放った。続けて、「わたしがお宅に伺えないのは、わたしたちの間にあった親族関係は断ち切られるべきだからです」と言った。「なんですって? それはまたどういう? なぜそんな?」オブロンスキーは笑顔を浮かべたまま言った。「なぜなら、わたしはきみの妹を、つまりわたしの妻を相手に離婚訴訟を起こすつもりだからです。しかるべき理由があって……」とカレーニンは答えた。オブロンスキーは、「カレーニンさん、お願いですから、訴訟を始める前に、ぼくの妻と会って、彼女に相談してくださいよ。妻はアンナを実の妹のように愛しているし、あなたのことも愛しています。お願いですから、妻と放しあってくださいよ! 友達のためだと思って、お願いします!」と懇願した。「もしもきみがそれほどお望みならば、うかがいましょう」とカレーニンは答えた。オブロンスキーは、「では、必ず晩餐に来てくださいよ。5時ですよ、フロックコートで、お願いしますよ!」と言って出て行った。

 

第4部の1章~8章を読んだのだが、

1章から3章は、ヴロンスキーとアンナの、

それぞれの心情が描かれる。

そして、早くも、ヴロンスキーのアンナへの思いに変化がおとずれる。

 

ヴロンスキーは、自分が言いたかったことをにわかには思い出せなかった。最近ますます頻繁に起こるようになった彼女の嫉妬の発作に、彼はひどく怯えていて、嫉妬の原因が自分への愛情であるということを理解してはいても、そのせいで彼女への愛がさめていくのを隠そうとしても隠しきれないのだった。(312頁)

 

今の彼は、すでにいちばんの幸せは過ぎ去ったと感じているのだった。彼女は初めのころ彼が見た彼女とはすっかり変わっていた。しかも精神的にも肉体的にも、悪いほうへ変わっていたのだった。体全体が横に広がって、顔つきにしても、さっきの女優の話をしたときなどは、顔面が歪むほどの意地悪な表情を浮かべていた。(312頁)

 

自分が彼女に愛を感じていないと思えるようになったいま、かえって彼女との関係はとても断ち切れないと自覚するのだった。(313頁)

 

アンナの心情も、悪い方へと変化していく。

ヴロンスキーが、「お腹の赤ちゃんの予定日はいつ?」と聞くと、

 

「じきに、じきに何もかも決着がつくわ。そうしたらわたしたちはみんな、みんなほっとして、これ以上苦しむこともなくなるの」(318頁)

 

「ぼくにはわからないな」実際はわかっていながらヴロンスキーが言うと、

 

「あなたはいつって聞いたでしょう? じきよ。そしてわたしはそのことに耐えられない。いいえ、口を挟まないで。(中略)わたしにはわかっている、確実にわかっているわ。わたしは死ぬ、そして死ぬことで自分もあなたも解放してあげられるのがとても嬉しいの」(318頁)

 

と、死をほのめかす。

直後、アンナのお腹の中の小さな生命が動く。

すると、アンナから恐怖と動揺の表情が消え、幸せそうな表情が浮かぶ。

死と生を同時に孕んでしまったアンナの行く末が心配でならない。

 

「わたしは何ひとつ変えることはできません」と言うアンナに対し、

夫のカレーニンはついに離婚を決意し、弁護士に会う。

離婚訴訟の準備をしているときに、モスクワでオブロンスキーに偶然会う。

妻のアンナはオブロンスキーの妹なので、できれば会いたくない相手だった。

ホテルまで訪ねてきたオブロンスキーは、晩餐に招待したいと告げる。

もうどうしようもない展開なのだが、

この晩餐にはリョーヴィンとキティも招待されている。

希望は、この二人だ。

9章以降で、この二人が再会し、新たな展開が生まれる筈だ。

私はそこに期待したい。

 

鬼ノ鼻山 ……紅白のママコナに逢いたくて……

 

ネットニュースに、連日のように山岳遭難の記事が載っている。

例えば、8月11日付の朝日新聞の記事。

 

夏山シーズンを迎え、長野県内の北アルプスや八ケ岳などで山岳遭難が多発している。県警のまとめでは、1月~8月3日に205件の山岳遭難があり、遭難者は232人。過去最多だった昨年を上回るペースで推移しており、体力や準備不足で救助を求めるケースも目立つという。

山域別では北アルプスが約6割の127件を占め、八ケ岳(19件)、中央アルプス(13件)など。遭難者の13%にあたる30人が亡くなった一方、4割強の99人は無事に救出された。

無事に救出された人の65%は、道迷いや疲労が原因だった。県警山岳安全対策課の担当者は「自分の技術や体力に合った、ゆとりのある登山計画を立ててほしい」と呼びかける。

 

長野県内だけでもこれだけの山岳遭難事故が発生しており、

日本全国の山岳遭難事故を集計すると物凄い数になると思われる。

特に60代、70代の高齢者の遭難が目立っている。

 

「70代で日本アルプスを縦走するためには、どんな訓練をしたらいいですか?」

と訊かれることがある。

そんなとき私は、

「少なくとも週に1回は、3~4時間の山歩きをして下さい」

と答えるようにしている。

これは、

山本正嘉著『登山と身体の科学 運動生理学から見た合理的な登山術』

という本からの受け売りなのだが、(本のレビューは後日)

 

3~4時間の山歩きは、累積の標高差で表すと、

上り・下りともそれぞれ500mくらいの運動量となる。

少なくともそれくらいはやっておかないと、

日本アルプスでの4~5日間の縦走は無理だと思われる。

 

60歳になったとき、体力はガクッと落ちた。

65歳になったとき、体力はガクガクッと落ちた。

70歳になったとき、体力はガクガクガクガクガクッと落ちた。

60歳になったときや65歳になったときとは比較にならないほど、

70代になると(信じられないほど)体力は低下する。

それからは、時間があれば山へ行くようになった。

今年は、週2回くらいのペースで山へ行っている。

 

体力維持という目的もあるが、

私の場合は、「花々との出逢い」という楽しみもある。

同じ山に登っても、毎回違う花に出逢い、毎回違う風景に出逢う。

そして思いがけない発見にも恵まれたりする。

飽きることがないのだ。

 

そんな風に、今回は「鬼ノ鼻山」に登ってきた。

 

ゆっくり登り、

 

「鬼の展望台」や、

 

 

鬼ノ鼻山山頂を経て、

 

 

「鬼のテラス」で展望を楽しんだ。

 

 

 

 

「みはらしの丘」は草茫々で、

 

 

ベンチも夏草に覆われていた。

 

そんな鬼ノ鼻山であったが、

今回は多くのママコナに逢うことができた。

 

逢いたかった白花のママコナもたくさん咲いていた。

 

 

紅白揃い踏み。

 

ひとつの花の中に、紅白が混じっているのもある。

 

紅白がちょうど半分に分かれているものもあって、面白い。

 

こちらにも。

 

今日も「一日の王」になれました~

 

一人読書会『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)⑨ ……第3部、24章~32章……

 

一人読書会『アンナ・カレーニナ』の9回目は、

第2巻の、

第3部の24章~32章を読んでみたいと思う。

 

24章

 

リョーヴィンが干草の堆(やま)の上ですごした一夜は、それなりの結果をもたらした。彼は自分が行なっている農業経営にうんざりして、まったく興味を失ってしまったのだ。収穫自体は申し分なかったが、この年ほど自分と百姓たちとの間に不和軋轢が生じた年はなかった。これまで行ってきた経営に自分で興味を失ったばかりか、それが嫌でたまらなくなってしまい、これ以上続けることができなくなったのだ。それに加えて、ここから30キロのところにキティがいるという事情があった。ドリー夫人は、かつて彼が訪れたとき、妹に会いにくるように誘ったものだった。訪ねてきてもう一度プロポーズすれば、今度こそ妹は受け入れるだろうとほのめかしたのだった。リョーヴィン自身もキティを見かけた際には、今でも自分が彼女を愛し続けていることを理解した。だが、いったん自分がプロポーズをして相手がそれを断ったという事実が、二人の間に越えがたい障壁を築いてしまったのだ。ドリーは彼に手紙をよこして、キティのための女物の鞍を拝借したいと言ってきた。「できましたら、どうかご自身でお届けくださるよう」と。リョーヴィンは返事なしで鞍を送ったのだが、何か恥ずかしいことをしてしまったという疚しさから、翌日、遠くの郡に住む友人のスヴィヤシュスキーのところへ出かけていった。

 

25章

 

スーロフ郡へは鉄道も駅馬車も通っていなかったので、リョーヴィンは自前の旅行馬車で出かけた。道のりの半分ほど来たところで、彼は馬に餌をやるために一軒の裕福そうな農家に立ち寄った。髭を生やした禿頭の老人が門を開け、トロイカを中に通してくれた。真新しい玄関では、こざっぱりとした身なりの若く美しい女が、素足にオーバーシューズを履いた格好で、身をかがめて床を磨いていた。「サモワール(ロシアなどのスラブ諸国、イラン、トルコで古くから使われてきた、お湯を沸かすための金属製の伝統的な器具)を点(た)てましょうか?」女がたずねた。「ええ、お願いします」茶を飲みながらリョーヴィンは、老人の家の経営について一部始終を聞き出した。老人は農業がうまくいかないとこぼしたが、ただ礼儀上こぼして見せているだけで、仕事は大いにうまくいっているようだった。泣き言を言ってみせながらも老人は、明らかに自分の裕福な暮らしに誇りを持ち、息子たちを、甥っ子を、嫁たちを、馬や牛を誇りに思っていた。リョーヴィンがこの農家から受けた豊かさの印象には、おそらくオーバーシューズの女のきれいな顔が強く作用していたかもしれないが、ともあれその印象はあまりにも強烈で、リョーヴィンはなかなかそれを振り捨てることができなかった。

 

26章

 

スヴィヤシュスキーはこの郡の貴族団長であった。リョーヴィンよりも5歳年上で、とっくに結婚している。家にはまだ若い妻の妹がいたが、それはリョーヴィンからみてもとても感じの良い娘だった。リョーヴィンはスヴィヤシュスキー夫妻がその娘を自分に嫁がせたいろ切望しているのを知っていた。彼はそうした思惑を意識していたが、そのことについては固く口をつぐんで、誰にも語ろうとはしなかった。おまけに彼は、自分が結婚を望んでいるにもかかわらず、自分がその女性と結婚する確率は(仮にキティを愛していなかったとしても)、空を飛べる確率よりも低いだろうと見込んでいたのだった。なので、スヴィヤシュスキーから猟の誘いを受けた際にも、リョーヴィンはとっさにこの結婚話を警戒したのだが、「それは根拠のない思い過ごしだ」とあえて断じたうえで、結局は出かけてきたのだった。自分の農業経営に失望したいま、リョーヴィンはスヴィヤシュスキーを訪問するのが格別嬉しかった。自分の人生にこれほどの不満を持つ彼としては、何とかスヴィヤシュスキーが明るく、はっきりとした、陽気な人生を歩んでいる秘訣に迫ってみたかったのだ。その晩のお茶の時間、何かの後見に関する用件でたずねてきた二人の地主を交えた席で、まさにリョーヴィンが期待していた通りの興味深い会話が始まった。

 

27章

 

灰色ひげの地主は明らかに根っからの農奴制支持者で、古くから村に住み着いている篤農家(農業に熱心で、研究や奨励に励む人)で、「農奴解放がロシアを滅ぼしたのですよ!」と主張した。スヴィヤシュスキーはかすかに馬鹿にしたようなしぐさをみせたが、リョーヴィンはきわめて説得力のあるものに聞こえたし、新鮮で、反論しがたい説と思えた。地主を相手に話を続けたリョーヴィンは、すべての困難の源は自分たちがわが国の勤労者階級の特徴や習慣を知ろうとしない点にある、ということを論証しようとした。だが、地主は、我流の孤独な思索家がみなそうであるように、他人の考えを理解するのが下手で、自分の考えばかりに固執していた。だからいつまでも言い募るのだった̶̶ロシアの百姓は豚同然で、下品な振舞いばかりしている。それをやめさせるには権力が必要なのに、権力は存在しない、と。

 

28章

 

その晩、女性たちと過ごすのが、リョーヴィンには耐え難いほどに退屈だった。自分が現在農業経営に持っている不満感が、自分だけの例外的なものではなく、ロシアが陥っている一般的な状況に起因するものであり、ここへ来る途中で立ち寄った老人のところのような労働環境をいたるところに作ることが、けっして夢ではなくて解決すべき課題なのだという思いが、いつになく彼を興奮させていたのである。そして、この考えを実行に移すための手順をあれこれ思い巡らすうちに、一夜の半分を眠らずに過ごしたのだった。翌日はまだここに滞在するつもりでいたのだったが、いまや早朝に帰宅する決意を固めていた。おまけにあの広い襟ぐりのドレスを着た夫人の妹のことが、彼のうちに何かすっかり悪い行いをしてしまった後の恥や悔いに似た気持ちを生んでいたのだ。もう一つ、一刻も早く帰らねばならぬ大事な理由があった。麦の秋蒔きが始まる前に百姓たちに新しい計画を提案して、新しい方式のもとで秋蒔きがおこなわれるように計らいたかった。彼は従来の経営を一変させる決意をしたのだった。

 

29章

 

計画を実行するためには多くの困難が待ち受けていた。しかしリョーヴィンは力を尽くしてがんばり、期待通りとはいかぬまでも、可能な限りの成果を上げていった。そして嘘でなく、これがやりがいのある事業だということを信じきれるようになったのである。農民の側の根強い不信感や、効果の明らかな改良農具を使いたがらないなど、様々な障害はあったが、リョーヴィンは自分の意志を貫き、秋口には新しい事業が開始された。この事業と、自分の手に残ったその他の経営、および本を書くという書斎仕事でひと夏忙しかったので、リョーヴィンはほとんど猟に出かける暇もなかった。そして8月の末には、オブロンスキー家の人々がモスクワに帰ったということを知った。ドリーの手紙にも返事を出さないという、今でも思い出すだけで赤面するほどの無礼なまねをしてしまったからには、自分はいわばすでに船を焼いてしまった身であり、二度と彼女たちの家を訪問することはできないだろう̶̶彼はそう思った。いったん事業に取り掛かると、彼は自分のテーマにかかわりのある文献に誠実に目を通し、さらに問題を現場で学ぶために、秋になったら外国へ行こうと決意した。

 

30章

 

経営は実際面では順調に進んでいた。少なくともリョーヴィンにはそう思えた。あとはただ、すべての問題を理論的に解明して、書きかけの著作を完成させるために、外国へ行って現地でこの方面の実情をつぶさに観察し、そこで行われてきたことがすべて不要なことだったという確証をつかみさえすればよかった。食事をすませたリョーヴィンは、しばらく執筆を続けた後で、ふと異様なほど生々しくキティのことを、彼女に拒絶されたことを、そして彼女との最後の出会いのことを思い出した。「何もふさぎこんでいることはないでしょうに」アガーフィアが言った。「どうしてまあ、そんな風に閉じこもっていらっしゃるんです? 温泉にでもお出かけになればいいでしょう。ちょうどいい頃合いじゃありませんか」「ああ、言われなくっても明後日には出かけるつもりなんだよ、アガーフィア。だからそれまでに仕事にけりをつけておかないとね」「まあ、お仕事だなんて! ただでさえ旦那さまは、百姓たちに目をかけすぎですよ!」「自分のためにやっているのさ」「でも、ご主人さまがいくらがんばっても、相手が怠け者だったら、全部骨折り損のくたびれもうけですわ」「しかし、おまえも言っていたじゃないか。イワンは家畜の世話もよくするようになったって」「わたしが申し上げたいことはただ一つ。旦那さまは奥さまをもらう必要がある。ただそれだけですよ!」アガーフィアにったいま自分が考えていたことを言われたので、彼は忌々しいやら腹立たしい気持ちになった。9時になると、馬車の車体の鈍い軋みが聞こえてきた。「ほうら、お客さまがいらした。これで退屈なさらずにすみますわ」リョーヴィンはもう仕事にも身が入らなくなっていたので、どんな客でも歓迎だった。

 

31章

 

客はリョーヴィンの兄のニコライであった。リョーヴィンはこの兄が好きだったが、兄と一緒にいることは常に苦痛の種だった。ニコライは以前から恐ろしいほどやつれ、憔悴していたものだが、それがいまや一段と痩せ細り、病み衰えていたのだ。その姿はまるで、骸骨に皮をかぶせたようであった。何日か前、リョーヴィンは兄で手紙を書いて、この家の敷地で兄と共有になっていた小さな区画を売ったので、兄の取り分が2000ルーブリほどあると知らせてやったのだった。兄のニコライの話では、今度やってきたのはその金を受け取るためだが、同時に、もっと大事なことに、自分の古巣にしばらく滞在して、ちょうど戦いの前の勇士がするように、大地に触れて今後の活動のための力を蓄えるためでもあるという。家の中は湿気がつよく、暖房が効いている部屋は一つしかなかったので、リョーヴィンは自分の寝室に仕切りをして、その向こうに兄を寝かせることにした。リョーヴィンは兄の気配に耳を澄ませて、長いこと寝付けなかった。彼の思いは千々に乱れたが、行き着く先は常に一つ̶̶死であった。何物も避けることのできぬ終着点である死というものが、初めて打ち消しがたい力を持って目の前に立ち現れた。死は彼の中にもいたのだ。たとえ今日でないとしても明日、明日でないとしても30年後̶̶それは結局は同じことではないだろうか? つまり死がやってくれば、すべてが終わってしまう。だから何ひとつはじめる価値はないし、しかもそれはどうしようもないことなのだ。「ああ、兄さんは死にかけている。春までに死ぬだろう。それで、どうしたら助けてやれる? おれは兄さんになんと言ってやることができるだろう? この問題について、おれが何を知っているというんだ? おれは死の問題が存在するということさえ忘れていたのだ」。

 

32章

 

兄の猫かぶりは長くは続かなかった。翌朝にはもう、兄は苛々しはじめて、なんとか弟に難癖をつけてやろうと、いちばん痛いところを狙って突いてくるようになった。3日目、ニコライ兄は弟を呼びつけてもう一度農業改革の計画をしゃべらせたうえで、それを非難したばかりか、わざと弟の考えを共産主義と混同してみせたりした。「お前には信念なんかあったためしがないし、いまもありゃしない。ただ自尊心を慰めたいだけさ」「ふん、上等じゃないか、どうか放っておいてくれ!」「ああ、放っておくさ! とっくにそうすべきだったんだ。勝手にしろ! そもそもこんなところに来たのが間違いだったんだ!」リョーヴィンは兄がもはや生きていくのがつらくなったのだと察した。兄がもう発とうとしているとき、リョーヴィンはもう一度彼のところへ行って、もしも何かで侮辱したのなら許してほしいと、ぎこちなく詫びを述べた。本当の出発のとき、兄は弟にキスをすると、ふと妙に真剣な目つきで見つめてきた。「でも悪く思わないでくれよ、コースチャー」そう言う兄の声は震えていた。それは兄の発した唯一心のこもった言葉だった。兄の出立から3日目に、リョーヴィンも外国へ発った。

 

第2巻の、第3部の24章~32章を読んだのだが、

ここはリョーヴィンのパートと呼ぶべき部分で、

アンナもヴロンスキーもカレーニンもキティも登場しない。

 

この一人読書会『アンナ・カレーニナ』の5回目で、

第2部の12章~24章を読んだとき、

私は次のように記している。

 

アンナとヴロンスキーのパートと、

リョーヴィンとキティのパートがあるとすれば、

アンナとヴロンスキーのパートが「表」で、

リョーヴィンとキティのパートが「裏」という印象をもたれやすい。

とりわけ、リョーヴィンの田舎暮らしを描いた箇所は、

地味だし、変化に乏しく、農業問題の話なども出てきて、

「面白くない」という意見も多いそうだ。

事実、この作品をロシア文学の白眉とみなしているウラジーミル・ナボコフでさえ、

リョーヴィンが農業経営をめぐって展開する議論は外国の読者や後世の読者には現実感がなく、この問題に多くの紙幅を割いたのは芸術的見地から見れば誤りだったと指摘している(『ロシア文学講義』)。

だが、私は、このリョーヴィンの田舎暮らしを描いた箇所は嫌いではない。

農業問題の話は少々退屈だが、

労働を通じた農民との共同生活や自然との交わりには深く感動する。

 

だが、今回読んだ部分は、正直、少々退屈だった。

ウラジーミル・ナボコフの言う、

「リョーヴィンが農業経営をめぐって展開する議論は外国の読者や後世の読者には現実感がなく、この問題に多くの紙幅を割いたのは芸術的見地から見れば誤りだった」

との指摘は、あながち間違っていないように感じた。

今回は、議論が多く、自然描写も少なく、読んでいてあまり楽しくなかった。

ただ、リョーヴィンの行動の根幹を成している地主貴族のこだわりや世界観を無視してしまえば、この作品の(魅力の)半分が失われてしまうのも確かで、悩ましいところでもある。

トルストイ主義は十九世紀後半のロシア社会が直面した諸矛盾の表現そのものであるというレーニンの評言が想起されますが、リョーヴィンを小説の動力としているのは、まさに簡単に一定のイデオロギーに回収できない、矛盾を含んだ思考と情動の主体としてのあり方でしょう。語り手は、空の雲のように絶え間なく変化するこの人物の思考の過程を、感覚体験や気分のあり方と結びつけながら、あたかも自然現象を描くように記述しています」

と訳者の望月哲男は語るが、自分の感覚と論理を指針として生きようとするリョーヴィンは、結果的にアンナに匹敵する存在感を示し、この物語を動かしていく。

次の第4部で、いよいよ、リョーヴィンとキティの関係が進展するようなので、

楽しみでならない。

日をあけずに、すぐに読書に取り掛かりたい。