一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

近くの里山 ……ギンラン、コケイランが咲き始めた……

 

5月10日(土)

 

昨日は大雨であった。

今朝は、雨は上がったものの、

周囲の山を見渡すと、どの山の稜線にも雲がかかっていた。

で、近くの里山を歩くことにしたのだった。

 

ミズキの花を見ながら、

 

森の中に入っていく。

 

これはハナイカダの葉なのだが、まだ咲いていなかった。

 

でも、よ~く探すと、「あった~」。

 

カノコソウも開花している。

 

エビネが美しく咲いていた。

 

嬉しい。

 

ギンリョウソウも顔を出していた。

 

ほんのり頬を染めている。

 

コケイランも咲き始めていた。

 

いいね~

 

シュンランは終盤を迎えていたが、まだ頑張っていた。

 

キンランはピークを迎えている。

 

まだ陽が当たっていないので、花は閉じたまま。

 

そして、(本日の目的の花)ギンラン。

 

まだ咲き始めで、一輪だけの小さな株が多かった。

 

 

これは三輪。

 

たくさん花をつけた株もあった。

 

素晴らしい。

 

こちらにも咲いている。

 

今日は数箇所でギンランを確認できた。

今日も「一日の王」になれました~

 

人生の一日(14) ……ゆっくり読み、ゆっくり歩く……

 

現在は、毎日、

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を少しずつ読んでいる。

カラマーゾフの兄弟』の場合、

第〇部、第〇編、第〇節というように章立てされていて、

第1節を読んだら、その第1節をもう一度読み返しながら要約し、次の節へ移る……というように、行きつ戻りつしながら尺取虫のようにゆっくり読み進めている。

 

たまに、気分転換や息抜きに、違う本も読むこともあり、

今は、『毎日読みます』(ファン・ボルム)という韓国の作家の本を読んでいる。

これがすこぶる面白い。

 

【ファン・ボルム】

小説家、エッセイスト。大学でコンピューター工学を専攻し、LG電子にソフトウェア開発者として勤務した。転職を繰り返しながらも、「毎日読み、書く人間」としてのアイデンティティーを保っている。著書として、エッセイは本書のほか、『生まれて初めてのキックボクシング』、『このくらいの距離がちょうどいい』(いずれも未邦訳)がある。また、初の長篇小説『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(牧野美加訳、集英社)が日本で2024年本屋大賞翻訳小説部門第1位を受賞した。

 

この『毎日読みます』という本の中に、

「ゆっくり読む」という章があり、そこに次のように記されていた。

 

ゆっくり読んでこそ見えるものがある。一文一文、丁寧にたどっていく者だけに与えてくれる贈り物。ありとあらゆる感性や思考の束が、伸びをするようにグーッと腕を伸ばしながら出てきて、わたしに話しかける。その言葉に誠心誠意答えていると、世の中に冷めていたわたしはすっかり消え去り、自分の中で起こる動揺にワクワクしているわたしだけが残る。本を閉じた瞬間、自分に対する理解度が一センチほど高まった気分。せっかちな読書ではけっして味わえない気分だ。

いくら速く読みたくても、どうしても速く読めない本もある。自分でも知らなかった自分の影の部分がわずか数文で見事に描き出されている本。長らく絡まっていた感情の糸をほどいてくれる本。駆け足でページをめくろうとすると、ついさっき読んだフレーズが心に引っかかり、後戻りしたくなる本。

フレデリック・グロの『Marcher,une philosophie』は、歩きたいという衝動を一日に何度も感じる人にぴったりの本だ。なぜしきりにここではないどこかへ行こうとするのか、なぜ毎回その手段として歩くことを選ぶのか、なぜ歩いたあとは生きているという実感が湧くのか、と不思議に思っている人なら、彼の、歩くことに関する思索の前でしばらく立ち止まることになるだろう。わたしも、思索する彼の言葉をゆっくりとたどりながら、夕方になると決まって散歩の準備をする自分の行動の理由を、じっくり考えてみた。(117頁)

 

この後に、フレデリック・グロの『Marcher,une philosophie』の中の一節が紹介されている。

 

歩かねばならない。一人で行かねばならない。山に登り、森の中を行かねばならない。人はいない。ただ、丘や、青々とした木々の葉があるのみだ。歩く人は、もはや何らかの役割をする必要はなく、何らかの地位にもなく、何らかの人物ですらない。歩く人はただ、道の上に転がっている石ころの尖った角や、肌をかすめる背の高い草、ひんやりした風を感じる肉体に過ぎない。歩いているあいだ、世界にはもはや現在も未来もない。ただ、朝と夕が繰り返されるだけだ。ただ毎日同じことをすればいい。歩きさえすればいいのだ。

 

なんと素晴らしい文章であろうか……

調べてみると、『Marcher,une philosophie』は、日本でも、

『歩くという哲学』(山と渓谷社、2025年2月刊)というタイトルで、

翻訳出版されているようだ。

 

ゆっくり読むことと、ゆっくり歩くことは、

どこか似ているような気がする。

ゆっくり読むことで、

ゆっくり歩くことで、

見えてくる世界があり、得られる感動がある。

若い頃は、

一冊でも多く読もうと、速読術を身に付けようとしたり、

一座でも多く登頂しようと、急ぎ足で登ろうとしたりするが、

70代になった今は、そんなことをする必要はまったくないし、できない。

ゆっくり読み、ゆっくり登ればイイ。

読書も、登山も、

70代になったからこその楽しみがあり、歓びがある。

70代にこんな豊かな時間が待っていようとは思ってもみなかったことである。

 

近くの里山 …フナバラソウ、フタリシズカが咲き始めた…

 

5月7日(水)

 

騒がしかったGWも、やっと終わって、

静かな日常が戻ってきた。

今日は、近くの里山で、花散策をしようと思う。

 

まずは、フタリシズカの群生地へ。

 

ずっと奥まで群生している。

 

大好きな花なので、嬉しい。

 

ホウチャクソウ

 

ナルコユリ

 

カノコソウも咲き始めた。

 

ムベの花は落下していた。

 

カンアオイの葉があったので、めくってみると、

花があった。

 

ギンリョウソウも姿を現していた。

 

つい撮ってしまう。

 

ムサシアブミにも逢えた。

 

イチヤクソウは開花間近。

 

「早く、早く!」

 

新緑が美しい。

 

シュンランがまだ咲いていた。

 

嬉しい。

 

キンランはあちこちに咲いていた。

 

 

いいね~

 

終わりかけのフデリンドウや、

 

咲き始めのコキンバイザサを見ながら、

 

ナバラソウの咲く場所へ。

「おっ、咲いている~」

 

地味な花だけど、逢えると嬉しい。

 

一輪だけ花をつけた小さな株もあった。

 

今日も「一日の王」になれました~

 

『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)(23) ……第4部、第10編、第1~7節……

 

カラマーゾフの兄弟』読了計画の第23回は、

第4部、第10編「少年たち」の、

 

第1節「コーリャ・クラソートキン」

第2節「子どもたち」

第3節「生徒たち」

第4節「ジューチカ」

第5節「イリューシャの寝床(ベッド)で」

第6節「早熟」

第7節「イリューシャ」

を読みたいと思う。

 

 

第4部、第10編、第1節「コーリャ・クラソートキン」

 

【要約】

今は亡き役人クラソートキンの(たいそう愛くるしい30そこそこの)未亡人アンナは、夫とはわずか1年ほど暮らしただけで、息子が生まれるとすぐ、18になるかならないかの年で先立たれ、以来、大事な一粒だねであるコーリャ少年の養育にすべてをなげうってきた。この14年間ずっと、われをも忘れんばかりに息子を愛してきた。コーリャが町の予備中学に進級すると、母親は息子の勉強を手伝ったり、コーリャがいじめられたりしないように様々な手を打った。その結果、子どもたちは逆に、この母親のことでコーリャを「ママっ子」とからかい、ひやかすようになった。それでもコーリャは自分を守りぬく精神力があり、抜け目なく、ねばり強く、度胸もあり、学校の成績も良かった、まもなくクラス内の評価は「めっぽう強いやつ」となった。節度をわきまえ、自分をおさえるすべを心得てはいたが、ちょっとした機会をみつけて、大いに悪ふざけに興じることもあった。7月夏休みのこと、自分が子ども扱いされるのが悔しくて、深夜に鉄道のレールの間に横たわり、列車が通り過ぎるまでそのままの状態でいることができるかどうかという賭けをおこなったのだ。コーリャはこの賭けに勝って、「命知らず」の評判が立った。この事件は、やがて町にも知れ渡り、学校にも伝わったが、教師のダルダネロフが少年のために弁護してまわり、事なきを得た。このダルダネロフは、まださほどの年でもない独身の男だったが、クラソートキン夫人に、何年にもわたって熱烈に恋していた。1年ほど前にプロポーズしかけたが、夫人はそれを受け入れることは我が子への裏切りとみなし、きっぱり断っていた。コーリャは、(ひと月ほど前に)拾ってきた犬を家に連れ込み、誰にも見せず、部屋で内緒で飼っていた。そして、この犬をしごき、ありとあらゆる芸を仕込んだ。このコーリャ・クラソートキンこそ、スネギリョフの息子が学校の仲間から「あかすり」とからかわれた父をかばおうとしてペンナイフで太ももを突き刺した相手の少年であった。

 

 

第4部、第10編、第2節「子どもたち」

 

【要約】

11月のある朝、コーリャは家にいた。コーリャは「ひどく大事な件で」外出する必要があったのだが、まだ出かけられないでいた。理由はこうだ。クラソートキン夫人の家の向かいに、二人の子どもを抱えた(クラソートキン夫人と大の仲良しの)夫人が住んでいて、医師である夫は、行方不明になって半年が過ぎていた。医師夫人の女中カテリーナが出産間近ということが判明し、救急施設に行くのに付き添うために急遽二人の夫人は家を空けることになり、コーリャが家の留守番と「ちびども」の見張り役をさせられることになったのだ。だが、クラソートキン夫人の女中のアガーフィアが市場に出かけており、彼女が帰ってくるまで出かけられない。やっとアガーフィアが帰ってきて、帰りが遅れた理由をコーリャが問いただすが、「ちびのくせして!」と逆に反発される。それでも子どもたちの見張りをアガーフィアにしっかり頼み、コーリャは外出したのだった。

 

 

第4部、第10編、第3節「生徒たち」

 

【要約】

外に出たコーリャは、広場の一軒手前にある家までくると、ポケットから呼子を取り出して、ピーと鳴らした。すると、すぐにスムーロフという少年が飛び出してきた。年は11ぐらいで、金持ちの役人の息子だった。両親から、札つきの腕白坊主でしられるコーリャとつきあうのを禁じられているらしく、こっそり飛び出してきた。スムーロフは、2ヶ月前、どぶ川をはさんでイリューシャに石を投げていた生徒の一人で、あのときアリョーシャにイリューシャの話をして聞かせた少年である。二人の行き先は、スネギリョフ二等大尉の家であった。スネギリョフの息子のイリューシャは、肺病らしく、もう一週間ももたないらしかった。二人が市の立っている広場を歩いているとき、コーリャは、「ぼくはね、スムーロフ、社会主義者なんだ」と言った。スムーロフが、「社会主義者って、いったいなんのこと?」と訊くと、コーリャは、「それはね、もしもみんなが平等で、財産も共通のものしかなくなると、結婚はなくなり、宗教も、どんな法律も、それぞれ好き勝手なものになる、で、けっきょく、ほかの残りのものもぜんぶそうなるってことを言うのさ」と答えた。コーリャは、百姓や物売り女や(番頭のような)商人の男をからかいながら歩いた。スネギリョフ二等大尉の家の手前まで来たところで、コーリャは、スムーロフに、先に入ってここにアリョーシャを呼びだしてくるように命じた。

 

 

第4部、第10編、第4節「ジューチカ」

 

【要約】

コーリャは、アリョーシャが出てくるのを待った。会って話がしたかった。アリョーシャに「なあんだ」と思われないように、一人前の男の顔つきをしようと躍起になった。彼が苦にしていたのは、背の低さだった。アリョーシャが姿を現し、嬉しそうな顔で近づいてきて、「やっと来てくれたんですね。ぼくたち、あなたのことをずっと待っていたんです」と言った。イリューシャの様子を訊ねたコーリャに、アリョーシャは、「イリューシャの具合がひじょうに悪いんです。まちがいなく死にます」と答えた。コーリャは、イリューシャが予備クラスに入ってきて、自分がイリューシャにナイフで刺されるまでに、二人の間に何があったのかをすべて語った。イリューシャはスメルジャコフと共に、パンの中に針を仕込んで犬のジューチカに与えるという残酷ないたずらを行っていて、その自分が行なった行為に対してショックを受けていた上に、そのことを知ったコーリャから絶縁を宣告され、犯行に及んだのだった。イリューシャは、「ぼくが病気なのは、あのときジューチカを殺したからなんだ。これは、神さまがぼくを罰しているしるしなんだ」と自分を責めていたという。コーリャは、「あとで、ひとつ手品をお目にかけますからね」とアリョーシャに言って笑った。

 

 

第4部、第10編、第5節「イリューシャの寝床(ベッド)で」

 

【要約】

アリョーシャは、けっしてわざとらしくなく偶然に見せかけて、一人ずつ少年をイリューシャと仲直りさせていった。しかし、ただ一人コーリャだけが姿を見せず、それが彼の心に恐ろしい重石となってのしかかっていた。イリューシャにとっても、苦い思い出のなかでもっとも苦いものといえば、自分にとってただ一人の友人であり庇護者であったコーリャにナイフをかざして飛びかかったエピソードだった。イリューシャは寝たきりになって2週間ほどが経っていた。アリョーシャの指に噛みついた事件以来、学校にも出ていないし、彼が寝込んだのは、その日からのことだった。コーリャがドアを開け、部屋に姿を現すと、二等大尉はコーリャを迎え入れるために駆け寄った。コーリャは、大尉に手を差し出し、自分が社交上の礼儀をわきまえていることを、瞬時に発揮してみせた。コーリャは、イリューシャに、「どうだい、元気にしてたかい?」と言い、手のひらでイリューシャの髪をなでてやった。そして、「犬を連れてきたんだ。覚えているかい、ジューチカを?」と言い、犬を部屋の中に呼び込んだ。勢いよく飛び込んできた犬を見て、イリューシャは、「これは……ジューチカだ!」と叫んだ。コーリャも、「ごらんよ、わかるかな、片目が潰れてて左耳が裂けている、きみがぼくに話してくれたのと、特徴がまるで同じだ。ぼくはね、このふたつの特徴を手掛かりにこいつを探しだしたんだ。こいつはあのとき、きみのパン切れを飲み込まなかったのさ。今こうやって生きているからには、うまく吐き出したってことなんだ」と叫んだ。「すごい、すごい!」少年たちもそう叫び、拍手した。コーリャは、さらに、イリューシャが見たいと思っていた青銅の大砲のミニチュアも見せてあげた。そして、「これはきみのものさ、前から用意していたんだ」と言って手渡した。そこへ、医者がやってきた。「患者はどこです?」彼は大声で、押しつけるような調子でたずねた。

 

 

第4部、第10編、第6節「早熟」

 

【要約】

「で、医者はなんて言うと思います?」コーリャが早口で言った。「イリューシャはだめでしょうね。ぼくにはもう、そうとしか思えません」アリョーシャは悲しそうに答えた。コーリャは、アリョーシャに、「あなたが神秘家で、修道院におられたことは耳にしています。あなたが神秘家なのは知っていますが、あなたを尊敬する気持ちは変わりませんでした。現実に触れればそれも矯正されるでしょうし……」と言うと、「何が矯正されるんです?」というアリョーシャの問いに、コーリャは、「神さまとか、ほかの何とかです」と答えた。「きみは神を信じてらっしゃらない?」とアリョーシャが再び問うと、コーリャは、「いや、逆ですよ。ぼくはべつに神にさからう気持ちなんて少しもないんです。もちろん、神なんてたんなる仮説にすぎませんがね……ただ……神が必要であることは認めます、秩序のためにです……世界の秩序やその他のもろもろのためにですよ……それにもし、神がいなかったら、神を考え出さなくちゃいけないでしょうし」と、顔を赤らめながら答えた。「ぼくは社会主義者です」とコーリャが告白すると、アリョーシャが、「いったい、いつそんなものになられたんです? だって、まだ13でしょう、たしか」と言ったので、コーリャは、「あと2週間で14です。それに、年齢となんの関係があるんです?」と顔を真っ赤にして答えた。アリョーシャは、「きみがもっと年をとったら、わかりますよ。年齢というものが、人の信念にどんな意味をもつかがね。ぼくはきみが、自分の言葉で話しているようには思えなかったんです」と、遠慮がちな、おだやかな調子で答えた。アリーシャはコーリャの話す内容がだれかの受け売りであることを見抜き、「みんなと同じ人間になってはだめなんです。たとえ一人きりになっても、きみだけはやっぱりみんなと別の人になるんですよ」と諭した。そして、最後に、「でも、いいですか、コーリャ、きみは将来、とても不幸になります」と、ふいに口走ったのだった。

 

 

第4部、第10編、第7節「イリューシャ」

 

【要約】

医師が部屋から出てきた。二等大尉は医師のうしろから一目散に飛び出してきて、医師を引きとめ、「閣下、閣下……さっきのは、ほんとうですか?」と問うた。「手のほどこしようがありません! わたしは神さまじゃありませんのでね」と、ぞんざいながら、おきまりのしんみり声で医師は答えた。二等大尉は医師を何度も引きとめ、何か他に手立てはないのかとしつこく訊いた。「患者さんを(シチリア島の)シラクサあたりにでも転地させることができれば、万が一、ということもありえますが……」と医師が言ったので、二等大尉は、「シチリアですって! だって、こんなありさまなんですよ!」と絶望にかられ、部屋の家具調度や玄関の丸太の壁を指さした。「いや、それはわたしとは関わりのないことでして!」と、医師はにやりとふくみ笑いを浮かべて言った。コーリャと二等大尉が部屋に入ると、イリューシャは二人を抱きしめ、「パパ、泣かないでよ……ぼくが死んだら、別のよい子をもらってあげて……あの子たちのなかから、自分でよい子を選んで、イリューシャと名づけて、ぼくのかわりにかわいがってあげてね」と言い、「でも、パパ、ぼくを、ぼくのこと、ぜったいに忘れないでね」と付け加えた。コーリャは、イリューシャに対して、「また戻ってきて好きなだけ話をする」と伝え、早足で家路についた。

 

この第4部、第10編「少年たち」では、

ミーチャの物語はいったん中断され、

アリョーシャと知り合った小学生たち、

とりわけコーリャ・クラソートキンという少年を中心に、

物語が進んでいく。

父殺しの事件を中心に進んできた物語に、

なぜ、少年たちの挿話に一遍が割かれているのか……

訳者の亀山郁夫によると、この少年たち(特にコーリャ)は、

このあと書かれる筈だった「第二の小説」で、

中心的な役割を担う人物だったからだそうだ。

「第二の小説」の要点は、

この少年たちとアリョーシャが続編において実行するであろう、

「皇帝暗殺」という、第二の父殺し。

これは、生前のドストエフスキーと親交があった人たちの証言や、

序文との整合性などから、

おそらく確かな構想であったと思われる。

つまり、この第4部、第10編「少年たち」から、

「第二の小説」が早くも始動しているということなのだ。

そして、「第二の小説」の中心人物になるであろうコーリャに対し、

アリョーシャは、

「でも、いいですか、コーリャ、きみは将来、とても不幸になります」

と予言めいたことを言っている。

「第二の小説」がどんなものであったのか……

想像するだけでも楽しい。

 

人生の一日(13) ……私の読書時のBGMは……

 

私は北アルプスの「上高地」が大好きで、

読書時のBGMは、現在、

YouTubeの「上高地」の映像と音を利用させてもらっている。

音は、川のせせらぎと、鳥のさえずりのみ。

(家に)居ながらにして、

上高地」の梓川の岸辺で読書しているような気分にさせられる。

 

読書に疲れて目を上げると、

4Kで撮られた「上高地」の風景が目に飛び込んでくる。

これが信じられないくらい美しい。

 

YouTubeには「上高地」の映像は数多くアップされているが、

私はもっぱら二つのYouTubeの映像を利用させてもらっている。

 

一つは、再生時間・約2時間のこちら。

www.youtube.com

もう一つは、再生時間・約1時間15分のこちら。

www.youtube.com

 

たまに、音楽を聴きながら読書したくなることもあるので、

そんなときは、ピアニスト・小林愛実さんの、

第18回ショパン国際ピアノコンクールでの演奏を聴くことが多い。

特に、第3ラウンドで演奏した、

ショパン「24のプレリュード 作品28」が素晴らしい。

映像も美しく、小林愛実さんの表情も素敵だ。

www.youtube.com