
青山真治監督の、
『共喰い』(2013年9月7日公開)以来7年ぶりの長編映画である。

『共喰い』は、荒井晴彦の脚本が秀逸で、
主演の菅田将暉はもちろん、
光石研、田中裕子、木下美咲、篠原友希子(篠原ゆき子)の演技が素晴らしく、
……昭和の終わりを描いた傑作……
とのサブタイトルを付してレビューを書いたのだが、(レビューはコチラから)
このレビューは今でもよく読まれており、
当ブログへの訪問者数の稼ぎ頭になっている。
『空に住む』は、青山真治監督の新作というだけではなく、
主演も私の好きな多部未華子であるし、
その他、(これまた私の好きな)岸井ゆきの、美村里江も出演している。
で、ワクワクしながら公開直後に映画館に駆けつけたのだった。

郊外の小さな出版社に勤める直実(多部未華子)は、
両親の急死を受け止めきれないまま、
叔父夫婦の計らいでタワーマンションの高層階で暮らし始める。

長年の相棒である黒猫ハルや、
気心の知れた職場の仲間に囲まれながらも、
喪失感を抱え浮遊するように生きる毎日。
そんなある日、
彼女は同じマンションに住む人気俳優・時戸森則(岩田剛典)と出会う。

彼との夢のような逢瀬に溺れていく直実は、
仕事と人生、そして愛の狭間で揺れ動き、
葛藤の末にある決断を下す……

本作が公開されたのが、10月23日なのに、
今頃レビューを書いているとは、どういうことなのか……
そう、私にとって本作は特別の作品にはならなかったのである。
〈レビューは書かなくていいか……〉
と思っていた。
だが、私の好きな多部未華子、岸井ゆきの、美村里江の演技は、
それほど悪くないのである。
〈レビューを書かずに放置するには惜しい作品かも……〉
と思い直した。
で、公開日からかなり日が経ったが、レビューを書き始めた次第。
映画の前半はとても良かった。
両親を亡くした女性の孤独と哀しみみたいなものが、
高層マンションという住まいの中に浮遊しているような感じで、
アンニュイさ、シュールさが巧く表現できていた。
〈青山真治監督らしい作品だな〉
と思いながら見ていた。
だが、
同じマンションに住む人気俳優・時戸森則(岩田剛典)が登場し、

直実が時戸に気に入られようと行動したり、
お世話になっている明日子(美村里江)を邪険にするなど、
やや俗っぽい展開となり、興味を削がれた。
複雑な心情を抱えた女性に見えた直実も、
謎めいた男に見えた時戸も、
ごくありふれた普通の人間に成り下がり、
なんだか少女漫画のようなストーリー展開に、ガッカリしてしまった。

途中からは、
〈これって本当に青山真治監督作品なの?〉
と思ってしまった。
エンドロールで、
「三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」の楽曲、
「空に住む Living in your sky」が流れるに至り、(ファンには申し訳ないが、これにもガッカリ)
〈この映画って、そういうことだったの?〉
と、妙に納得した。
この映画の成り立ちを調べてみると、
作詞家の小竹正人が初めて書いた小説「空に住む」と、
その主題歌として作られた三代目の「空に住む 〜Living in your sky〜」という曲が最初にあり、
それに沿って映画が作られていたのだ。
まず、三代目の「空に住む 〜Living in your sky〜」ありきの映画だったのである。
加えて、人気俳優・時戸森則役で三代目の岩田剛典も出演しており、
〈それではまるで昔の“歌謡映画”と一緒ではないか……〉
と、『空に住む』という映画の成り立ちに落胆したのは言うまでもない。
『共喰い』の脚本を担当した荒井晴彦が、本作へコメントしていたが、

だから「ムーン・リバー」が欲しいと思った。
とは、褒め言葉ではなく、
「三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」の楽曲、
「空に住む Living in your sky」が流れたことに対する皮肉を述べているのだと思う。
こんな“歌謡映画”を作っては駄目だと……
そういえば、『共喰い』の音楽はとても良かった。
エンディング曲として、ギター演奏の「帰れソレントへ」というナポリ民謡が流れる。
「恋人に帰ってきてほしい」と歌う男の曲なのだが、
ある意味、この映画にピッタリの選曲ではなかったかと思う。
素晴らしい曲なので、予告編でどうぞ……
とレビューに書いたのだが、
名作の必須条件は名曲なのである。
荒井晴彦のコメントを喜々として本作の公式サイトに掲載しているようでは、
監督もスタッフも、やはり何も判って(解って)いないなと思わざるを得ない。
青山真治監督は、
池田千尋が書いた準備稿としてのシナリオから、
ト書きなどの具体的な部分を次々に外して、ほぼ台詞しかないような脚本にしたという。
「わかりやすいほうがいい」と思っている部分ももちろんあるんですが、ただ、その「わかりやすさ」の中にも、人が生きていて感じ続ける“矛盾”って絶対に存在していると思うんです。たとえば来年新しい映画を作って、今回と同じようにインタビューしてくださったとしても、同じ質問に真逆の答えを返すということが実際にはありえるわけでしょう。
芯の部分に大きな変化がなくても、会話、対話にはそういう一貫性のなさ、矛盾があるはずなんです。すべてにおいて完璧に辻褄が合っていることなんて、ほとんどないといってもいい。それに、全部が正当なものなんて、エンタメとしても面白くないじゃないですか。そのことにある日気づいたんです。というより『空に住む』という題材に、気づかされたんだと思います。
だから直実たちの会話も、誰が誰に対して言うか、どんな言葉を言うか、あらゆる台詞が簡単には辻褄が合わないようになっています。「ん? どういうことだ?」と思われるような言い回しがあっても、それを深追いするようなことはしていません。それでも、観ていてきっと違和感はないと思います。(「ほんのひきだし」インタビューより)
と、青山真治監督は語っていたが、
いやいや、「違和感ありあり」であった。
良い方に辻褄が合わないようになっていればイイのだが、
本作では悪い方に辻褄が合わないようになっている。
途中から誰しも性格が豹変し、俗っぽい人間に成り下がってしまうのだ。
そこに説明は一切ない。
複雑な心情を抱えた女性に見えた直実も、
謎めいた男に見えた時戸も、
何不自由ない生活を送っているように見えながら自身にしかわからない喪失感を抱えているであろう叔父夫婦も、
ごくありふれた普通の人間に成り下がり、俗物化するのである。
人間として魅力がなくなり、
ストーリーもどこにでもあるような展開に堕す。
もう、何をか言わんや……である。

ここまで書いてきて、かなり気が滅入った。(笑)
やはりレビューは書かなければ良かったか……(爆)
なので、ここからは、ひたすら褒めることにしよう。(コラコラ)
面白いと思ったのは、
直実(多部未華子)が勤める出版社が、
いわゆるオフィスではなく古民家のようなところで畳敷きであったこと。
その理由を、青山真治監督は、
何となくそんなイメージを伝えたら、「こういうところがあるよ」と連れて行ってもらって決めました。確か戦後すぐくらいの映画で詳しくは忘れてしまったんですけど、溝口健二の映画の中にああいう出版社の設定があったはずです。(「シネマクエスト」インタビューより)
と語っていたが、
主人公の直実が住むのがタワーマンションの高層階で、
勤める出版社が古民家という……対比の妙もあり、
監督が決めた設定は素晴らしかったと思う。
昔、私が編集記者をしていた頃(約40年前)、
SF(サイエンス・フィクション)やミステリーなど「海外文学に強い出版社」というイメージがあった早川書房の社屋を取材で訪ねたとき、
そのミシミシ音がするような古い木造建築にビックリしたことがある。(今は鉄筋ビルのようである)
SFと古い木造建築の取り合わせが「好い感じ」に調和していて、
取材相手の若い女性編集者が『いちご白書』のキム・ダービーに似ていたこともあって、(今はもういないだろうな~)
良き想い出として今も記憶に残っている。
確か、みすず書房もそうであったと思うが、
当時(約40年前)は、社屋が古い建物の出版社は少なくなく、
良質の本を刊行している出版社に特に多かったような気がする。
本作『空に住む』を見ていて、そんなことを思い出した。

岸井ゆきのが、完成披露舞台挨拶で、
(古民家をベースにした出版社での多部さんとの撮影では)私が(撮影を離れて)多部さんとして接してるのと、役として撮っているのと差がないんです。休憩時間に、岩田さんが演じたスター俳優の時戸が出ている(小道具の)雑誌を見たんですけど、それが映画のシーンなのか、多部さんとの時間なのか、 あいまいになるくらい、素の部分と撮影の差がなかったです。

と語っていたが、これは出版社を古民家にした効用のひとつであろうし、

直実が勤める出版社の編集長を演じた髙橋洋も、

台本に「出版社」とあったのですが、行ってみたら古民家で、そういう場所でできることが嬉しくて、自然と「こういう感じでしゃべるのかな?」とか「こういう風に働いているのかな」というのが、用意していただいた空気で決まりました。
と、出版社が古民家であったことからくる演技への好作用を語っていた。

主人公の直実を演じた多部未華子。

多部未華子のファンとしては、
大きなスクリーンで彼女を見ることができただけでも大満足なのであるが、
この映画では、
これまであまり見たことないような様々な表情を見ることができ、嬉しかった。
それは、戸惑いの表情であったり、自分への怒りのような表情であったりしたのだが、
なんとも言えないそれらの表情に、妙にリアリティを感じてしまった。
青山真治監督は元々、多部未華子のファンで、
養子に来てほしいと思っていたほどだったという。(笑)
多部未華子が、完成披露舞台挨拶で青山監督のことを、
現場でほとんどコミュニケーションがなく、いまだにどんな人なのかわからない。
と冗談交じりに語っていたが、
青山真治監督も、
いや、冗談ではないです。緊張して喋れなかったんですよ。演技指導? そんなことしませんよ。シナリオをどれくらい自分のものにされているかは、見ていればわかります。「コミュニケーションを取らなかった」というのは、シナリオの理解度という意味でも彼女が完璧だったからです。
と語っている通り、
演技指導がないことへの戸惑いであり、
思った演技ができないことからくる自分への怒りの表情であったのかもしれない。
青山真治監督が多部未華子を好き過ぎることからくる副作用としての様々な表情であったとしたら、それはそれで評価されるべきものなのだろう。

木下愛子を演じた岸井ゆきの。

直実(多部未華子)の、小生意気だが明るくキュートな後輩で、同じく編集者。
結婚と出産を間近に控えているが、
実は小説家の吉田(大森南朋)とも関係を持っていて、お腹の子は吉田の子。

姉のように慕う直実にだけその秘密を明かし、

周囲にはうまく隠しながら結婚式にのぞもうとするが、
いよいよ出産の時が迫ってくると……
という面白い役どころ。
なんだかフワフワして現実味のない生活をしている他の登場人物と違って、
“現実”をしたたかに生きている若い女性を、
岸井ゆきのは実にイキイキと演じていて素晴らしかった。

小早川明日子を演じた美村里江。

雅博(鶴見辰吾)の妻で、直実の叔母。
夫婦仲睦まじくタワーマンションで暮らし、
直実が別室に引っ越してきてからはあれこれと世話を焼く。

何不自由ない生活を送っているように見える明日子だが、
彼女もまた、彼女にしかわからない喪失感を抱えていた……
という役なのだが、
内に秘める複雑な思いを、表面上の明るさで繕いつつ、
直実と仲良くしようと努力する叔母を実に巧く演じていた。
あまりにも直実の大切な領域に(無意識のうちに土足で)踏み込もうとする明日子の行為に、
直実が怒って明日子を敬遠するようになるのだが、
そんな直実に最後まで暖かい目を向け続ける明日子は、
なんて素敵な女性だろうと思った。
そんな明日子を演じた美村里江も素敵だった。

その他、
タワーマンションのコンシェルジュを演じた柄本明、

ペット葬儀屋の男を演じた永瀬正敏、

直実が働く出版社の社長・野村を演じた岩下尚史が、
独特の存在感で作品を締めていた。

忘れてならないのは、「ハル」という猫の演技。

本作での一番の名演技は、この猫のものであったかもしれない。(笑)

元々、タワーマンションには興味がないし、
この映画を見て、高層階に住みたいとは増々思わなくなった。(笑)
なぜ億単位の金を使ってまで高層階に住みたがるのか、
私にはまったく理解できない。(コラコラ)
時戸が直実からインタビューを受けるシーンで、
「夢は何か?」
という直実の問いに、
「地面に足をつけて立つこと」
と時戸が答えていたのが印象に残っているが、
そういえば、本作は、
「地面に足がついていない人たちの物語」であったのだ。
そう理解してこの映画を見なおすと、
また違った側面が見えてくるのかもしれない。
いずれにしても、
地面を歩き、地面に住み、地面と共に生活している私からすれば、
それほど羨ましくない世界の人々の物語であった。
自分がどういう人間であるかを確認するためにも、
映画館で、ぜひぜひ。